無題

 自分の気持ちに正直に生きられればいいな、と思います。「~がしたい!」と思ったらすぐに行動できるようになりたい。しかしながら、それはとても難しい。それはなぜでしょうか。失敗することが怖いからです。行動すると、失敗する確率は格段に上がるのです。
 ここでひとつ疑問が。「失敗」とは何なのでしょう。現代っ子の僕はインターネットブラウザを起動し、Google.comのページを開き、検索ボックスに「失敗」と入力してエンターキーを押しました。そこで何か分かるかもしれないと思ったからです。

 

ー以下、ひとりごとー


 ウェブの国語辞典に「失敗とは、方法や目的を見誤って良い結果が得られないこと」と書いてあった。良い結果ってなんだ。悪いことを避けられれば良い結果なのではないか。僕はなにを悪いことだと思っているのだろう。悪いこと。人を傷つけてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない。というようなことが思い浮かぶ。人に迷惑をかけなければいいのか。そうか。だったらどうする?誰とも関わらなければ絶対に迷惑をかけることはない。となると、「何もしない」ことが失敗を避ける最善の方法なのではないか…。何もしなければ、失敗は有り得ない。
 いや、違う。それだと、自分がこの世界に生まれてきた意味がないことになってしまうのではないか?何もしないならこの世にいようがいまいが同じ。だから、良い結果を生み出すことだけを考え(というか信じて)「何かをする」しか自分が生きている意味がない!自分が良い結果を生むと信じてやったことが、悪い結果を生むこともあるけれど、それは仕方がないことだ。

 

ー以上ー


 つまりは、「失敗」とは「行動したことの証明」だと思います。そして「成功」も同じく「行動したことの証明」。「成功」と「失敗」を対極的に捉えてしまうから失敗を避けようとしてしまうのではないでしょうか。「成功」も「失敗」も行動した結果という意味では共通の仲間です。この考え方で「失敗」を恐れないメンタリティを獲得したい。
 もちろん、闇雲に行動してただ単に成功や失敗を積み重なれば良いわけではないでしょう。それらの行動は反省を伴うものでないといけない。悪い結果を生んだ場合は、そうならないための対策を講じること、良い結果を生んだ場合も、なぜうまくいったのかの理由を明らかにする。しかし、これらの作業は相当面倒くさい。おそらく十分にできていると胸を張って言える人は少ないです。無論、自分はできているとは言えません。自分は学校のテストの点数だけ見て見直しを怠るタイプです。たぶん、現実を直視したくない臆病者なのです。「自分ができていないのに、なにを偉そうにこんな文章書いてるんだ」と思われるかもしれないですね。全くもってその通りです。ただ一つできていると言えることは、この文章を書いたことくらい。下手くそな文章になってしまっていると思います。まさに、「失敗」。だからと言って書くことを止めません。文章を書くのは楽しいからです。
 あと、最後に思ったことをひとつ。それは、インターネットから得られる知識は考えるための素材・ヒントでしかないということです。結論・解答は得られない。自分の目と耳で感じて頭を使って時間をかけて考えて、自分オリジナルの答え(得られないことも当然ある)を出す。なかなか大変なことだけど、それを目指したいなぁ。

 

おわり